2001年9月11日

2001年9月11日。
一緒に暮らし始めたばかりの嫁さんとドラマ「ウソコイ」最終回を見ていました。
臨時ニュースが入り、WTCビルに旅客機が衝突したという事で現場の模様が映し出されました。
何かの手違いでビルに飛行機が突っ込む事ぐらいあるさ、それよりも「ウソコイ」の続きが見たい、と思っていました。
日本は十年不況の真っ只中、アメリカは好況という事へのやっかみもあったかもしれません。
テロの可能性がある、とはその時分かっていたかどうかは忘れました。
もう一機別の角度から衝突するのをナマで見ました。それでもへーと感嘆の声をあげる程度でした。
WTCビルが上から崩れていくのを見て流石に我に返りました。人生でこんなものを見るのは二度とない。
そんな思いでビル崩壊を眺めていました。
ドラマが再開したのは二人がいつのまにか山頂で抱き合う最後のシーン。
もう話の筋もムードも何も分からない。
テロの可能性が指摘されたのはこの番組の後かもしれません。
不思議だったのは、事件後一時間やそこらで、オサマ・ビン・ラディンの仕業らしいと映像まで出てきた事でした。
WTCビルは以前もビル爆破事件があって、その主犯格という事でしたが、それだけでここまで決め付けて良いのか、と思っていました。
一機、ペンタゴンに衝突し、それからもう一機、乗客の手により落ちたとの情報が入りました。


オサマ・ビン・ラディンを匿っているという事でアフガニスタンタリバン政権が槍玉に上がり、米軍の手によって政権は崩壊しました。誤爆により多数の民間人の被害がありましたが、WTCビルで失った命とどっちも変わらないだろうに、と気の毒な気持ちになったような覚えがあります。


そのうち、イラクオサマ・ビン・ラディンを助けているのだ。イラクにも先制攻撃を仕掛けなければならない、とブッシュ政権が言い出しました。さすがにそれは行き過ぎだろう、と思っていましたが、大量破壊兵器を隠し持っている、という論調に変わり、イギリスの諜報機関も後押しをし、フセイン政権も数週間で崩壊してしまいました。
そして、シリアもイランもテロ国家だ、やってしまえ、と言い出す始末。
イラク侵攻ははじめからおかしかった。
当時思ったのは、あーあーやってしまったよ、もう南部の油田だけ奪って帰っちゃえばいいじゃん、南部だけアメリカの支配下にあるか傀儡政権になるかでいいし、中部から北は無法地帯になるってことにして、後は勝手にやってれば、と、いった感じでした。
まさか、イラクが一つの国家のまま、復興も進まず、衝突を繰り返す泥沼に陥るとは思っていませんでした。
嘘の情報を流したかどで何人かは更迭されたり死んだりしたかなぁ、でも、基本的には誰もこの責任を取らず、給料は減りもせず、軍需復興産業に金が入りはしていますが、イラク石油の採掘権は決まらないままです。
イラク侵攻ってなんだったんでしょうか。湾岸戦争から十数年越しの悲願のフセイン潰しだけだったのでしょうか。


911を通して、色んな思いを巡らせました。雨の中崩壊したビルの中で助けを待っている人々。高層階の高温地獄を抜け出すため、1階や車に人間が衝突している音(バゴーン!)、アフガニスタンイラクの民間人の犠牲者。それぞれの皆さんへの同情心を持っても加害を実行している人たちには勿論、そして、被害者へすら思いは届きはしない、という事を思い知りました。私も含め色んな人の思いが伝わらない。何を言っても無駄。それが過激派とレベルがおんなじになってしまった、アメリカの唱える民主主義、なんでしょうか。


北オセチアの小学校って、気の毒ですけど、何でみんな裸が多いんでしょうね。ロリータ好きなのかなぁ。体育館の爆破は何かの手違いで誤爆らしいけど、何でまた小学校なのか。いまオセチア小学校も懸賞金を掛けていて、あの事件はなんだったのかを解明しようとしています。ちょっと遅いけど夏休みの宿題にいい題材じゃないでしょうか。